古田武彦の世界

「古田武彦古代史研究会」発足宣言

2015年10月14日、古田武彦鬼籍に入る。

古田武彦は、古来よりどの学者一人として疑わなかった魏志倭人伝に記載の国名「邪馬臺(台)国」は存在せず、正しくは「邪馬壹(一)国」であり、その国は北部九州博多湾岸に存在した、と論証した(「邪馬壹国」1969年『史学雑誌』78編 9号、『「邪馬台国」はなかった』1971年)。

そしてその事は、古代史における近畿天皇家一元史観に大きな一石を投じる事となる。『漢書』に登場して以来、中国史書に記載の中国王朝との国交を行ってきた日本列島の国は、近畿天皇家では無く、7世紀末まで脈々と続く九州王朝であったとの歴史観である(『失われた九州王朝』1973年、『盗まれた神話』 1975年、等)。

そしてさらには、縄文以前より日本列島各地に存在したと思われる独自王朝をも浮き彫りにし、多元史観に基づく日本の新たな歴史観に到達するのである。

古田武彦はあきらかに日本古代史のパラダイムシフトを提示した。

しかしながら古田武彦が鬼籍に入った今、残された者には以下の2点が大きな懸念の影となり夢枕に立つ。(1)古田武彦の論証した歴史観は、その後古田武彦の歴史観として正しく引き継がれているのであろうか? (2)古田武彦の論証の眼目であるその方法論は正しく引き継がれているのであろうか?――残念ながらそれはノウと言わざるを得ない。

古田武彦が古代の真実を世に問い始めて約50年。ここにおいてその懸念の影を払拭する事を目途として「古田武彦古代史研究会」の設立を宣言したい。いかなるイデオロギーにも立脚せず、あらゆる忖度をも排除し、少年の目と理性の刃を武器に、ひたすら“歴史の真実とは何であったか?”のみを追い続けた研究者古田武彦の方法論と、その論証結果に永遠の命の与えられんことを願って。

2023年3月吉日
古田武彦古代史研究会
主管 古田光河

古田武彦 略歴

  • 1926年8月8日福島県喜多方市に生まれる
  • 1945年東北帝国大学法文学部日本思想史学科に入学。村岡典嗣氏に師事。
  • 1948年東北帝国大学法文学部日本思想史学科卒業。卒業論文は「道元の『利他思想』をめぐって」。以降高校教師を歴任しながら親鸞研究に勤しむ。
  • 1969年その後松本清張の『古代史擬』に疑念を抱き、『史学雑誌』に「邪馬壹国」を発表。高校教師を辞め古代史研究に専念。
  • 1971年『「邪馬台国」はなかった』発表。
  • 1973年『失われた九州王朝』発表。
  • 1975年『盗まれた神話』発表。 (『「邪馬台国」はなかった』、『失われた九州王朝』、『盗まれた神話』により、8世紀までの日本古代史の新歴史観を確立。古田武彦古代史初期三部作と呼ばれる。)
  • 1979年『ここに古代王朝ありき』を発表。古田武彦が文献学で主張してきた内容と、考古学出土物の適合性を指摘。また考古学の基礎となる編年に関する疑問点を提示する。
  • 1980年龍谷大学講師
  • 1984年昭和薬科大学 文化史研究室 教授
  • 1985年高句麗好太王碑の現地調査を実施。後世の改ざんが無かった事を提示。
  • 1990年『真実の東北王朝』を発表。古代日本における多元史観を提示。『東日流(内・外)三郡誌』研究にも勤しむ。
  • 1996年昭和薬科大学を退官。京都に戻り研究に勤しむ。その他著書多数。
  • 2015年10月14日 没(89歳)